Record yourself or die

記憶のあやふやさ

私は記憶力に自信がありません。

よく奥さんにお使いを頼まれますが、大抵、いくつかは買うものを取りこぼしますし、「今何考えてたっけ?」とか「何を言おうとしていたんだっけなあ」なんて思うのはしょっちゅうです。

記憶力本もいろいろ買って読んで試してみるけれど、モノにならない。
「昔はもう少し覚えられてたと思うけど、もう年かなあ」と独り言をいうことも増えました。

記録するか、死か

一番嫌なのは、仕事を終えて帰ろうとするときに今日やったことを思い出せないことです。
いろいろな人と話をした、メールも何通か出した、何か忙しい日だった。そんなような気がするのですが、結局何をしたのかが思い出せない。実感がわかない。
仕事に限らず、私生活でもそんな日を今まで繰り返してきたような気がします。このブログの書き出しも、すごくうすぼんやりした言い方ですよね。タチが悪いことには、そういった感覚もうすぼんやりしていて、日々の生活に埋もれてしまいがちだと言うことです。そうして積み上げてきたこの10年をいまここで振り返るなら「生きていなかった10年」。そう総括できるような気がします。

人生の目標を持っていれば、それに邁進することができます。
でも、そんな大きな事を言わなくとも、例えば、昔撮った写真を見返してその時の出来事、感情、実感を私でもよみがえらせることはできます。

つまり、自分が何をしたか、記録できていなかったこと、そしてその記録を振り返らなかったこと(記録がないので当然ですが)が第一の原因と言えるでしょう。今は、記録のコストが一昔前とは比較にならないくらい低くなって、いろいろなことをいろいろな方法で記録することができるようになったのですから。

障壁 – 私の場合

でも、私の場合、面倒くさがりなクセに、完璧主義という性格が、記録をとることを邪魔しています。

例えば「携帯でライフログだー」と張り切って自分の生活を記録しようとしてみたけれど、ついつい携帯を携帯しわすれて(よくあることです)、記録が抜けてしまい、それが嫌で、記録すること自体をあきらめてしまう、というパターンは、私の三日坊主の王道パターンです。

多少抜けても、大体記録できればいいんですよね。

画像データだって、音声データだって、多少のノイズが入っていても、記録が残っていれば、大体の情報は伝わります。多少あやふやでも、結構抜けていても、自分がやったこと、自分の思いを残していくことが大事なんですよね。

スモールスタート、いや、マイクロスタート

生きていなかった10年を思い起こして、今、少しずつまた日々の生活のログをとろうと努力しています。これからの10年は、きちんと振り返ることができるようにしようと。うすぼんやりと過ごすようなもったいないことはやめようと。
結構人生の残りも少なくなってきた分、そのもったいなさを肌で感じられるようになって考え方が変わったと思います。

仕事の面では、比較的デスクワークが多いのでPCのツールで記録をとるようにしています。
プライベートでは携帯で記録をとっていますが、前述の携帯を携帯しわすれるクセで、よく記録が漏れます。でも、まずは記録があることが大事。スモールスタートより小さいマイクロスタートで「何か記録すること」を最低ラインにしています。
読書しながら寝落ちして、記録では一晩中読書したことになってても、今はその記録を削除したりはしません。正確な記録を残したいという気持ちがなくなったわけではないですが、読書し始めた、という事実は確かなのですから。

多少あやふやな点があっても、記録の仕方は変わっていっても、記録はとり続けていこうと思います。正確な記録をとろうという気持ちと、記録そのものを捨てずに続けていけば、少し時間はかかりそうですが、良い方向に進んでいけるでしょうから。

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