自分の体は自分が一番良く知っている?
ここ一ヶ月ほど、地元の健康作りイベント(ここの左ページの2番目)で、週一で運動しています。体幹トレーニングを中心に、エアロビクスやボクササイズをやったり、レクリエーションを交えた運動をしています。
こういったイベントに参加するのは初めてではないのですが、参加して毎度毎度思うのは、何て自分の体が動かないのだろうということ。
元々自分は鈍いのですが、エアロビクスで簡単なステップは踏めるけど、そこに手の動きが付いてくると途端にうまく体が動かなくなり、ちょっとトリッキーな、ステップを踏む足と反対側の手を動かす、なんて動きになると、かなりお茶を濁した動きになるのです。
一つ一つは簡単な動きなのに、足と手を組み合わせるだけで、自分の体なんて簡単に制御不能になるもんなんですね。自分は自分の体を大して知っていないんだな、っていう発見はいつも新鮮です。
まぁ、体を動かすのが目的ですし、いつもデスクワーク三昧なので、正確なステップや動きでなくてもいいのですけどね。
私が鈍いせいだけでもないらしい
私が単純なエアロビクスであたふたしているのは、程度こそ違え、運動選手をはじめとするいろんな人にあてはまる事らしいですね。逆にその動きをしっかり調整できるようになると、スポーツの上達が早くなる、というのが下の記事です。
武井壮が語った「スポーツが短期間で上達するコツ」が説得力あり過ぎてスゴい スランプ対策にも | ログミー[o_O] やっぱり、自分の身体を動かす技術を上げておかないといけない。はい。当然のことなんですけど。スポーツやるにしても、何か、いろんなことするにしても。やっぱり頭で思っていることと、実際やっていることがずれて … |
よく、イメージトレーニングが重要だ、といいいますけど、その前提として、イメージ通りに体が動かせることが必要ということなんでしょうね。とても面白い話ですね。
別に体だけの話でもなくて
自分が自分の事を意外に知らないというのは、別に身体的なことだけではなく、心理的なところでもあるような気がします。
たとえば、GTD。
GTDでは、まず最初に、自分の気がかりなことをひたすら書き出し尽くすという「収集ステップ」がありますが、実は私はなかなかこのステップを実行することができません。専用のアプリや本を買って「せっかくコレを買ったんだから」と思うこともあります。時には「よし今回はしっかりとGTDするぞ〜」なんて意気込んでみたりすることもあります。でも、100前後まで書き出せても、なかなか自分の心を吐きだし尽くしてすっきりするところまで書き出せた試しがありません。
何か、心理的抵抗を感じるのです。単純に面倒だと思っているだけなのかもしれませんが、GTDは何度もちゃんとやりたいと思っているので、面倒というだけでなく、どこかで自己規制してるのかもしれません。
単にGTDが必要な状況に追い込まれていないだけかもしれませんが。
本を読むときもそうです。たとえば、フォトリーディングを初めとして、読書術では、事前に「自分はこの本から何を得たいか」という問いかけを自分にして、目的を明確にする、というテクニックを使うことがあります。 私はこれも苦手です。
GTDの収集ステップで感じるような抵抗感を感じます。そんなところで突っかかっているなら実際に読んだ方が早いと思い、目的意識が散漫なまま読書して、何となく読んだ感じになってしまうことも多いですね。
オチはありません
この抵抗感は、自分の深層心理的なところに何かしらの問題があるのじゃないかと思っています。でも、残念ながら、今のところ解法はわかりません。
いろいろな状況に自分を追い込むことで、必要に迫られてこの抵抗感を越えられたり、解法を見つけられたりするのかなあ、とボンヤリ思っています。
なので、このエントリも、特にオチはありません。
何か思い当たる方があれば、コメントいただきたい…という他力本願なエントリです。
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